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サイゼ初デート論争、それぞれの主張

サイゼ初デート論争がまた燃え上がっている。はっきり言ってそもそもの問題設定がおかしい上に、言及するだけ無駄な話題だと思うので燃えている事態そのものに対して。モヤモヤするが、敢えて軽く分析してみることにした。7/31未明にTwitterで"サイゼ"と検索し、話題タブ上にヒットしたツイートをざーっと読み、パターンごとに独断と偏見で分類し解説してみた。

 


ついでに自分なりのプチ考察を残しておくことにする。

 


サイゼ論客分類

 


●値踏み否定型

何らかの手段を講じて女性を値踏みする行為とそれを働こうとする男性を批判、火種となったと思われる言動の論旨を正面から否定している言える。よく目にする。

 


派生:そもそも試し行動ダメ、絶対型

相手を試すことで信頼に足るかどうかを判断する行動はあってはならないとする意見。値踏み否定型主張を強化していると考えることもできる。

 


●デートの場所をちゃんと選べ型

お付き合いするかどうかを決定づけるイベントが本当にサイゼでいいのか考えろという主張。元の論旨とはやや外れるが真っ当な指摘とも受け取れる。その割にあまり目にしない。

 


●男叩き型

女性を値踏みの対象とすることの無意味さを説くが、まーん()的女性観を持つ男性をより強く批判している。

派生:童貞キモオタは黙ってろ型

対抗:女叩き型

「「デートでは奢ってもらうのが当たり前」と考える女性」を仮想敵としているようだ。目にする数は少ない。やばい。

 


●外し型

サイゼ論争に絡めて自分の食事の話をしたり、自分の推しならサイゼでデートでも最高と言うなど、無害。

 


●サイゼ擁護型

安い食事、しょぼいレストランの代表格扱いをたしなめる意見。サイゼが好きなんだ!ふざけるな!という怒り型や、サイゼは本当はすごいんだぞプレゼン型が中心。よく目にする。

 


●どの立場だよ恋愛語り型

恋愛にとってこれがセオリーである。よってサイゼを初デートで利用するのは~というように的外れな正解を提示する。後述する惚気型や、2つの合体パターンを合わせると結構目にする印象。

派生1:惚気型

自分の恋人とはこうだからサイゼでも平気、サイゼより安上がりな公園でパピコでも平気など、自分の恋人との関係に照らして何かを言う。少ないが一定数以上に存在すると考えられる。

派生1-2:元カノ型。今の恋人ではなく元カノがサンプルとなるのでネガティブなエピソードトークが目立つ。

派生2:好きな人となら~型

好きな人とならどこでも楽しみと思うんだけどな~と言っている。それ自体は正しいが、市井の女性と思しきアカウントからのこのタイプのツイートは簡単には確認できず、大体一人称が僕のアニメアイコンなのはどことなく黒いものを感じる。

 


オマケ

 


◎初手カップヌードルの恐怖

初デートがサイゼなんて、彼女の初手料理がカップ麺みたいなもんじゃないのか!と言う、ハナからおかしい問題設定に対する問題の設定がもっとおかしいツイートが散見された。伝言ゲーム的に論点が歪められていくのはTwitterの面目躍如と言っていいだろう。

 


◎冷たいインセル

このような言説が話題を呼んでしまい、Twitter上の男性のヤバめな女性に対する考え方が露呈しているように思えた。インセルとは、非自発的禁欲状態の男性たちが、自分を選ばない(または、選ばなかった)女性たちを憎む思想のこと。大量殺人犯がこの思想を持っていたこともあり、有名になった。

血が流れる事態こそ起きていないものの、こうした思考に近いものを男性社会の一部は抱えてしまっているのではないだろうか。

 


◎火種は婚活アドバイザー?

「初デートにサイゼリヤに行き、相手が金のかかる女性か見極める」というのは、元はといえば婚活アドバイザーの発言だという。コンサルとは往々にして信用し過ぎ注意なものだが、流石にあんまりだと感じる。

婚活というムーブメントは、相手を値踏みする必要性が通常の恋愛と比べて過剰に高めるという問題を抱えているという指摘を目にしたことがあるが、納得である。

 


以上でこの記事を終えようと思う。何故ここまで燃えるのか分からず、モヤモヤを抱えている人に、このくだらない喧嘩の勢力図を見て少しすっきりしてもらえればと願っている。

 

今回のもっとも大きな気づきは、上述したように、「好きな人となら何処に行ったって楽しいと思うんだけどな(大意)」と言っているのが、一人称が"俺"または"僕"のアニメアイコンだったというところだろう。多くは語るまい。